特別エッセー

(岸見一郎先生より)

カンガルーハウスのオープンに際し、アドラー心理学の第一人者であり、『嫌われる勇気』の著者でおられる岸見一郎先生が、「言葉の贈り物」としてエッセーをご寄稿下さいました。 岸見先生、ありがとうござました。

子どものために大人ができること

 子育ては誰にとっても難しいものです。子どもが何でも親のいうことを聞いてくれるはずもなく、イライラしたり腹を立てたことがない人はいないでしょう。その上、子どもが学校に行かなくなるというような思ってもいなかったことが起きると、親は動転してしまいます。 

 
 子どもとて親の期待を満たすために生きているわけではありません。子どもが理想的に従順で親のいうことを何でも聞くというのであればむしろ心配です。皆が何の疑問も感じていないこと、例えば、なぜ勉強するのか、なぜ学校に行かないといけないのか疑問を持ち、自分で考え始めたら壁にぶつかるのは当然のことです。このような時、親を始めとしてまわりの大人は子どもたちのために何ができるかを考えなければなりません。
 

 実のところ、子どもの現状や将来に不安があっても、親ができることはあまりありません。親といえども子どもの人生を代わりに生きることはできないからです。しかし、子どもが悩み苦しんでいれば、親ができることはあります。 

 
 まず、深刻にならないことです。オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラーが次のようにいっています。 


「母親が自分のことで絶望していると感じれば、子どもは大いに勇気をくじかれる」(『子どものライフスタイル』) 


「両親が子どものことで勇気をくじかれている時、そのことは子どもにとって非常に悪影響を及ぼすということをわれわれは知っている。その時、子どもはあらゆる希望を失うことを正当化される。そして、子どもが絶望する時、彼の共同体感覚の最後の痕跡も失われる」(前掲書) 

 
 親は子どもの代わりに子どもの課題を解決することはできません。しかし、それでも、親は子どもにとっていわば砦です。子どもは親が自分のことで苦しみ絶望し不幸であることを喜びません。親に責められていると思うかもしれません。そう思った時、子どもは希望を失い、親とのつながり——これが親とつながっていると感じられるという意味での「共同体感覚」です——が感じられなくなります。反対に、親とのつながりを感じられた時、子どもは自分で自分の課題を解決する勇気を持つことができます。 

 
 次に、子どもが自分に価値があると思えるように援助することです。アドラーは次のようにいっています。 

「自分に価値があると思える時にだけ、勇気を持てる」(Adler Speaks) 

 
 子どもはこれからの人生をどう生きるか考えなければなりません。どんな人生を生きるかを親は決めることはできませんが、子どもが自分の人生の課題に取り組む勇気を持てるよう援助することはできます。 


「自分に価値があると思える」というのは、自分が好きであるという意味です。私は若い人のカウンセリングをしてきましたが、自分のことが大好きという人に会ったことはありません。 

 
 自分のことが好きでなければ対人関係の中に入っていく勇気を持つことはできません。たしかに、人と関われば何らかの仕方で摩擦が生じ、傷つくような経験をすることはありますが、生きる喜びは対人関係の中でしか得ることはできないので、自分のことを好きになってほしいのです。自分に価値があると思えない、自分が好きでないから対人関係の中に入っていこうとしないのではなく、対人関係の中に入っていかないために自分を好きになろうとしないというのが本当です。 

 
 子どもは大人の期待を満たせないと思うと自分が好きになれません。大人ができるのは、目の前にいる子どもをありのままで受け入れ、生きていることがありがたいと思うことです。実際、子どもが幼かった頃はどの親もそう思っていたはずです。いつの間にか、親の理想を子どもに押しつけ、その理想から現実の子どもを引き算しているかもしれません。 

 
 自分に価値があると思えるのは、自分が他の人に何らかの仕方で役立てていると思える時です。何か特別なことをしなくても、自分が生きていることでまわりの人に貢献できると思えたら、子どもは自分が好きになれます。 

 
 第三に、他の子どもと代えることができない子どもと「今ここ」を生きることです。問題があろうと、親の理想と違おうと、病気であろうと、今ここを子どもと生きていくしかないのです。解決しなければならない問題は多々あるでしょうが、それらが解決する前は幸福になれないわけではありません。 

 
 ある時、講演で、夫が病気になり、幸い命は取り留めたが、いつ何時再発するかわからないと医師からいわれたという人から「これからどう考えて生きていけばいいか」という質問を受けたことがありました。 

 
 再発するかどうかは誰にもわかりません。再発しないという可能性もあります。それなら、再発することを恐れないで、今日という日を精一杯生きましょう。私はそう答えました。 

 
 目下、学校に行っていない子どもの人生がこれからどうなるかは誰にもわかりませんが、もはや戻ることができない過去を思って後悔したり、未来を思って不安になったりしないで、今日という日を今日という日のためにだけ大切に生きれば、明日を待たずに今日幸福になることができます。親が幸福になれたらその幸福は子どもに伝わります。 

 
 生活のあり方が少し変わってきたと思えたら、子どもにたずねてみてください。「何かできることはありませんか」。何もないという答えが返ってきたら、子育ての目標は畢竟、自立なので、何も力になれないことを残念に思わず、子どもを引き続き見守ってください。でも、助けを求められたら、できるだけ力になってください。 

(2024年4月9日) 

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